第1章 はじめに -生きているということ-

地球は水の惑星とも生命の惑星とも呼ばれるが、「生きている」という言葉からは「みずみずしさ」や「やわらかさ」が感じられる。生きているということを端的に表現することは極めて難しいが、あえて言えば、「階層性と創発性、秩序性と調節性が顕著で、多くの高分子を含み、進化の歴史を内包した遺伝プログラムに基づいて営まれている、動的な準平衡状態にある複雑な開放系」という無味乾燥な表現となろう。生命は地球の誕生後8億年足らずで誕生し、爾来今日生きる喜びを享受している私達にいたるまで、40億年近くあらゆる天変地異を乗り越えて絶えることなく連綿と続いてきた驚くほど頑丈なシステムでもある。この間、遺伝情報の担い手であるDNAを収納する構造すなわち「核」を持った生物が出現するまでに10数億年、多細胞生物が出現するまでにはその後さらに10億年ほどもかかっている。多細胞動物が出現するのは約6億年前である。

生物の世界は地球のごく表面の薄皮一枚に限られており、仮に両手で地球を保持することができたとしても肉眼ではほとんど認識できないほどの厚さに過ぎない。また、地球の重さが成人のそれ程度であるとすると、この世に存在するあらゆる生物を合わせても細い睫毛一本にも及ばないほどの重さにしかならず、生命の世界は物理量としてはまことに微々たるものにすぎない。しかし、大気中の酸素分子は生命活動の結果生じたものであることからも明らかなように、生物は地球表面の物理化学的な性状を劇的に変えてきた。逆に、環境の変化は進化を促し、大気中の酸素の増加は、猛毒であった酸素を手なずけ、有機物を完全に酸化してエネルギーを効率よく取り出す生物の進化をもたらした。

進化の歴史を通じて生物は多様化し、睫毛一本の世界の中は数千万とも数億ともいわれる「種」に分かれており、驚くほど多彩なものとなっている。物理量としては微々たるものに過ぎない生物の世界が、これほどの多様性を生み出していることこそ、生命現象においてもっとも驚くべき事実であるとすら言われている。生命の世界は、この多彩な生物が複雑に絡み合って成り立つ極めて複雑なものであるが、その複雑さは、一匹の個体や一個の細胞についても言えることで、生命世界は本質的に複雑なものである。

基礎生物学の立場から見ると、ヒトは非常に異常な生き物である。第一に、体の外に情報を蓄積し、時間と空間を超えて情報を伝達・共有することのできる唯一の生物である。そのような能力がもたらしたことの一つが、異常な個体数の増加である。1960年には30億だった人口が、たった40年間で倍に増えて60億を超し、現在では66億を突破したと推定されている。ホモ・サピエンスの誕生以来、現在までの総積算人口の5%以上が現在生きていると推定されているが、個体数がこういう増え方をしている生物種はヒト以外には未だ嘗ていない。この間、わずか8万年ほどの間に歩き歩いてアフリカから南米の先端まで、人口を増やしながら全世界に広がったわけであるが、ヒトが侵入すると、その土地の大型の哺乳類や飛べない大型の鳥が激減したといわれている。ヒトはいろいろなものを食い尽くしながら全世界に広がり、人類の時代を謳歌してきたのである。

しかも、一個体が消費する物資やエネルギーの量も著しく増大している。現存する動物の種の重さを比較してみると、上位にいるのはナンキョクオキアミを唯一の例外として、すべてヒトおよび家畜であることからも、ヒトの活動が生物圏全体にどれだけのインパクトを与えているかが容易に知られよう。今や、水の惑星、生命の惑星と呼ばれる地球は、かつてない深刻な状況におかれている。われわれ人類は何処に行こうとしているのか、われわれに明るい未来はあるのかという漠とした不安が人々の心に蔓延しだしている。このような危機的な状況のなかで、生きているというのはどういうことであるのかを正しく理解し、生命系全体の存続に思いを致すことなしには、人類の存続もまた成り立たなくなるのでないかと危惧されている。