3.4 食の確保 -農耕-

農業とは、土地を耕して畑や水田を作り、そこに穀物や野菜や綿などの有用な作物を植え、これを害虫や病気から守り育てて、収穫をする一連の作業である。約1万年前に始まった農業は食料の生産と保存を可能にしただけでなく、人間の生活様式を大きく変え、文明を育み、科学技術を育てた。

 

3.4.1 農業の歴史

人間は、誕生以来長い間、狩猟採集生活を送ってきた。そして、誕生の地であるアフリカからユーラシア、南北アメリカ、オーストラリアと世界中に広がった。約1万年前に氷河期が終わって気候が温暖化し、狩猟の対象であった大型動物の多くが絶滅した。そして、この頃から中東と中国などで農業が始まり、その後世界各地に広がった。農業は突然に始まったのではなく、狩猟採集生活の中で、例えば有用な実をつける樹木の周囲の雑木や雑草を取り除くことで多くの実をつけさせ、食用になる実や根を持つ植物があればこれを一箇所に植え替えて守り育て、優れたものを選び出すなどの原始的な農業の経験や知識の蓄積を生かして、次第に農耕生活に移行したと考えられる。

狩猟採集時代にはその日に食べる食料を集めれば一日の労働は終わった。余分に働いてたくさんの食料を集めても、保存ができなければ意味がない。当時は人口が少なく、広い土地にわずかな人間しか暮らしていなかったために、少ない労働時間で必要な食料が手に入ったと考えられている。農業時代に入ると多数の人間が集落を作って定住した。農作業を1年中続けても、年に一度か二度の収穫期以外には穀物が手に入らないために、穀物を貯蔵する必要が生まれた。貯蔵した穀物は他の食品や道具などと交換ができる財産になった。また、十分な食料が得られるようになると、人口が増加した。

農業には、作物の生育に適した気候、耕作のしやすい地形、十分な水、栄養分が豊富な土壌などの条件を備えた土地が必要である。古くから農業が行われたチグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河、ナイル川など、大きな川の流域には上流から流れてきた栄養豊富な土が堆積した広く平坦で農業に適した土地であった。そして、これらの場所で最初の文明が生まれた。

農業の時代になると男女の仕事の分業が進み、男性優位の社会になったと言われる。狩猟採集時代にも男性は主に狩猟、女性は主に簡単な農作業を含む採集という分業があったが、食料を得るという点では採集の方が確実であり、男女の地位は同等だった。農業の時代になると、自然の土地を開墾して農地にし、これを耕すという農業の労働は厳しいために、農作業の中心は体力がある男性にならざるを得ず、女性はそれ以外の補助的な仕事をするという分業が一般的になり、これが女性の地位の低下につながった。

しかし、農業労働は男性にとっても過酷であった。これを助けたのがウシやウマなどの家畜である。こうして重い鋤を自分の力で引いて土地を耕す重労働は大きく軽減された。そして20世紀に入ると農作業にトラクターなどの機械が導入され、化学肥料と農薬が使用され、作物の新しい品種が開発され、生産量は大きく増加して農作物は世界に流通する国際商品になった。現在は工場生産方式の土を使わない水耕栽培や、室内飼育設備での多数の家畜の飼育が行われるなど、農業の一部は自然から離れる動きもある。

 

3.4.2 日本の農業

約3万年前、日本人の祖先はナウマン象やヘラジカなどの大型動物を獲物にして、狩猟採集生活を送っていた。氷河期が終わりに近づいた1万8千年ほど前には気候の変化や狩猟などの影響でこれらの大型動物は絶滅し、人間は生き残ったシカやイノシシを獲物にするようになった。1万年前には気温はさらに上昇し、森林も変化して、クリやクルミなど食用になる木の実が増えた。ドングリやトチの実などはあく抜きをすれば食べられるので、火と土器を使った調理が始まった。また海岸線では魚介類を食用にし、その跡が貝塚として残っている。森林を焼き払ってアワなどの雑穀を栽培する農業も始まり、人々は集落を作って竪穴式住居に定住するようになった。

1万5千年ほど前に中国で始まった稲作は2500年ほど前に日本に伝わった。多くの人が集落に集まり、水田と水路を作り、銅や鉄で作った農機具を使って本格的な農業が始まった。稲とともに大陸からウシが伝えられ、続いてニワトリが入ってきた。集落の中には身分制度ができて支配階級が生まれ、農耕地や食料の奪い合いなどで集落の間の争いが激しくなった。

この時代の遺跡から発掘された人骨などから推定すると、当時は乳幼児の死亡率が高く、約半数が10歳までに死亡し、成人の寿命も40歳程度、ゼロ歳児の平均寿命は10歳代だった。ちなみに大正時代には10歳までの死亡率は約25%、平均寿命は40歳代であった。現在は10歳までの死亡率はわずかで、平均寿命は80歳近くである。

その後、新たな農耕地の開拓、作物の品種改良や新しい作物の導入、潅漑の整備などが行われ、農地は次第に広がり、生産量は増加した。しかし、天候不順や害虫の大量発生のために不作になり、多くの餓死者が出ることもあった。正確な記録が残っている江戸時代には大きなものだけでも10回の飢饉があった。特に享保、天明、天保の飢饉は三大飢饉といわれ、数十万人の餓死者が出た。草根木皮を食い尽くし、家畜野獣も姿を消し、さらには餓死者の肉を食べたという悲惨な記録もある。ほとんどの場合、天候は翌年には回復したが、栄養失調による体力低下や疾病、そして種籾を食べ尽くしたために翌年の稲作ができないなど、飢饉の影響は何年も続くことが多かった。明治以後、特に昭和に入ってからは農薬と化学肥料の使用、農機具の発達、稲の品種改良などにより米の生産量は大幅に増加し、飢饉の危機は遠のいた。

 

3.4.3 世界の人口と食料

キリストが誕生した頃には約3億人だった世界の人口は、それからゆっくり増加し、英国で産業革命が進んでいた1800年に10億人になった。ところがその後の200年は「人口爆発」と言われるような大幅な増加を示して現在の約67億人に達した。2050年ごろには92億人に達すると言われる。世界の人口の22.3%はインドなどの南アジア、20.9%が中国、13.4%がアフリカ、9.4%が北ヨーロッパ、8.6%が東南アジア、8.6%が中南米、5.2%が北米に分布する。

このような急激な人口の増加をもたらした最大の要因は農業技術の発達による食糧の増産であり、こうして増えた人口を支えているのも農業である。現在の農耕地面積は、地球の陸地面積128億ヘクタールの約12%に当たる15億ヘクタールである。食用作物の種類は主食の米、小麦、ジャガイモなどの根菜類、主に家畜のえさに使われるトウモロコシ、主に油をとるための大豆、そして野菜、果物、お茶やコーヒーなどの嗜好飲料などである。これらをすべて合わせた世界の農業生産量は約44億トン。このうち、米、小麦、トウモロコシ、ジャガイモ、大豆の5種類の主要作物の合計が約20億トンである。このように、人間はわずかな種類の作物を主食にしているが、なかでも世界人口の約半数に当たる30億人が米を主食としている。ちなみに主食となる食料を「食糧」という。

図7 世界人口の増加[1]

2000年には世界全体で約20億トンの小麦や米などの主食になる作物が生産されている。これを世界人口67億人の一人当たりにすると約300キログラムになり、生きていくためには十分な量である。しかし、アジアやアフリカの開発途上地域では食料が不足し、人口の12%が低栄養状態にある。これは穀物の多くが先進諸国で消費され、さらにその約1/3がウシやブタの飼料として利用されているためである。食用肉1キログラムの生産のためには、鶏肉で4キログラム、豚肉で7キログラム、牛肉で10キログラムの穀物が必要である。今後、中国や東南アジアなど途上国の経済発展に伴って畜産物の消費が拡大し、飼料用穀物の需要が増加すると見込まれる。

日本では、カロリーベースで計算すると食料の約60%を輸入に頼っている。1億2000万人の人口のうち、自国の食料で養うことができるのは約5000万人で、これは江戸時代の人口3000万人より少し多い数である。日本が今後も食料を確保していくためには、国際情勢を安定化し、世界全体の食料事情の悪化を防ぐことが必要である。

 

3.4.4 畜産業と漁業

人間は多くの種類の動物を飼い慣らした。最初に家畜になったのはイヌで約1万2000年前、続いて1万年前にヤギとヒツジ、8000年前にウシとブタが、4500年前にニワトリが家畜化された。こうして人間はウシやウマの労働力だけでなく、乳、肉、卵などの食料、そして羽毛、皮革、毛糸など衣料や住居の材料を手に入れた。さらに、家畜の排泄物は肥料として農地の維持に欠かせないものになった。

2004年の統計では、世界には164億羽のニワトリ、13億6千万頭のウシ、10億3千万頭のヒツジ、9億4千万頭のブタ、7億5千万頭のヤギなどがいる。このように多数の家畜を飼育するためには広大な土地が必要であり、放牧地の面積は農耕地面積の2倍以上、陸地面積の20%以上を占めている。また農耕地の約1/3は家畜飼料を生産するために使われている。

家畜の飼育は地域差が大きく、ニワトリは世界全体の25%が中国に、次いで中南米に15.1%、北米に12.8%、東南アジアに12.2%分布する。またウシは中南米に27%、南アジアに20.5%、アフリカに16.9%、北ヨーロッパに9.1%、北米に8.1%、中国に7.5%分布し、ブタは中国に49.3%、北ヨーロッパに16.2%、中南米に8.6%、北米に7.9%、ヒツジはアフリカに23.6%、オーストラリア・ニュージーランドに14.2%、中国に13.3%、南西アジアに13.1%分布する。

表5 世界の食肉および牛乳消費量の増加(単位:100万トン)[2]

ヒンズー教は牛を神聖な動物として牛肉の食用を禁じ、イスラム教では豚を不浄な動物として豚肉の食用を禁止している。しかし、そこには農耕地帯で牛を食用にしてしまうと耕作が難しくなること、そして穀物が少ない地域で豚を飼育すると人間の食料が不足する恐れがあることなどの理由もあると考えられている。キリスト教は人間が家畜を初め動物を利用することを許容し、仏教は無駄な殺生や牛や豚など四本足の動物の食用を禁じている。

国際連合食糧農業機関(FAO)によれば、2005年には現在の世界の13億人が畜産業に従事し、その生産高は農業生産全体の40%になる。畜産業が大きく発達したのは1970年代以後であり、特に1980年代から2004年までの間に世界の食肉の生産量はほぼ倍増して2億6000万トンに達した。このような生産の急増の原因は人口の増加によるものだけでなく、主に発展途上国の都市化と収入の増加により畜産製品の消費量が増加したためで、特に中国、インド、ブラジルの伸びが大きい。このような需要の増加に対応するために畜産の方法が大きく変化して、かつての野外での牧草による家畜の飼育から、屋内での配合飼料による多頭羽飼育が中心になった。これをFAOは「畜産革命」と呼んでいる。今後の世界の食肉生産は2050年には4億6500万トンに倍増し、乳生産量も5億8000万トンから10億430万トンに増加すると予測されている。

畜産製品と並んで重要な動物性食品が魚介類である。2001年には世界で約9000万トンの魚を漁獲している。その内訳は中国が突出して多く、5100万トン、2位のペルーが800万トン、以下、日本が610万トン、インドが600万トン、米国が540万トン、インドネシアが530万トンなどである。日本の食用魚介類の自給率は2005年には57%しかなく、世界一の魚介類の輸入国である。

 

3.4.5 農業を支える科学と技術

農作物の安定した供給のためには農耕地や灌漑の整備などとともに、優秀な作物を作り出す育種と、作物を病害虫から守る農薬、そして作物に栄養を与える肥料の改善などを実現するための農学と農業技術が必要である。

(1)育種

農作物は収量が多く、病害虫や環境の変動に強く、味や色や形がよく、栄養価が高いなどの多くの優れた性質を持つものが望ましい。このような農作物を育てる技術が育種である。その方法は突然変異育種と呼ばれるもので、偶然に生まれた優秀な性質を持つ農作物と、別の優秀な性質を持つ農作物を掛け合わせて、長い時間をかけて両方の性質を兼ね備えた農作物を作り出すものである。この方法は人間が農業を始めたときから現在まで、何千年にもわたって行われてきた。家畜についても同じ方法が使われている。

その後、農作物に放射線を照射して人工的に突然変異を起こさせて、その中から偶然に生まれた優秀な性質を選び出す放射線育種も開発された。そして最近生まれたのが、目的とする優秀な遺伝子を作物に人工的に組み込むことで短時間に効率よく育種を行う遺伝子組換え技術である。この方法を使って害虫に強い作物や除草剤で枯れない作物などが実用化され、米国では遺伝子組換え大豆の栽培が全体の90%を超えるなど、世界各国で栽培されている。しかし、日本ではまだ一般化していない。


【コラム4】遺伝子組換え農作物

1996年に遺伝子組換え技術で作られた新しい作物が商品化されたことをきっかけに、遺伝子組換え作物は急速に世界中に広がった。遺伝子組換え農作物等のほとんどがトウモロコシ、ダイズ、ナタネ、ワタの4種類であり、従来の技術では得られなかった除草剤耐性(特定の除草剤を撒いても枯れない)や害虫抵抗性(生物農薬成分を植物体内で作ることにより害虫の被害を受けにくい)といった新たな特性を備えている。

遺伝子組換え作物を栽培している国は2007年には世界の23カ国であり、その栽培面積は米国、アルゼンチン、ブラジル、カナダ、インド、中国の順で広い。世界の栽培面積は11530万ヘクタールであり、日本の農地面積480万ヘクタールの24倍に当たる。主要生産国である米国では、ダイズの約9割、トウモロコシの約7割、カナダではナタネの約8割が遺伝子組換え品種である。世界の総栽培面積に占める遺伝子組換え作物の割合は、大豆64%、ワタ43%、ナタネ20%、トウモロコシ24%である。

遺伝子組換え作物が急速に普及した理由は、除草に係る労力を大幅に軽減すること、農薬の使用量を減らすこと、土壌浸食を引き起こす耕作作業を不要とするといった、生産者に直接の利点があったことで、経費の低減を通じて消費者にも間接的に利点がある。

遺伝子組換え技術により作り出された新しい農作物が人の健康や環境に対して悪影響を及ぼす可能性が指摘された。例えば、組み込んだ遺伝子や合成されたタンパク質の安全性、アレルギー誘発性などの食品としての安全性の問題、雑草化や土壌微生物相など周辺環境に及ぼす影響などである。これらの問題については、農場での栽培を始める前に、関係法令に基づいて科学的な知見に基づく評価を実施し、これに合格したもののみを公的に承認する仕組みが世界共通の規則として確立している。

”Global Status of Commercialized Biotech/GM Crops” by Clive James, 1999-2007

日本では遺伝子組換え作物の商業栽培は法的には可能であるが、実際に行われてはいない。しかし、日本が輸入しているダイズの約8割、トウモロコシの約9割は米国から、ナタネの約8割はカナダからのものであり、その多くは遺伝子組換えと非組換え農作物を分けずに流通している。これらは主に飼料用や油糧用の原材料として使用されているが、一部は食品の原料にもなっている。

このように遺伝子組換え作物はわれわれの生活に深く関与しているにもかかわらず、遺伝子組換え技術の内容、安全を守る法制度の存在、世界の実情などについての正しい情報が国民に伝わっているとは言い難い。そのために「遺伝子組換え作物は危険」といった風評が広がり、これを聞いて不安を訴える声も多い。このままの状況では日本での遺伝子組換え作物の開発も栽培も世界の進歩に大きく遅れをとり、将来は重要な遺伝子組換え作物の種子をすべて海外から購入する事態になる懸念さえある。科学教育の中で遺伝子組換え技術の利点と欠点について取り上げて正しい知識を伝えるとともに、実用化に向けた取組みを国民の意見を聴きながら進めるというリスクコミュニケーションの充実が重要である。


(2)肥料

農作物が育つためには窒素、リン酸、カリウムなどの栄養素が必要である。自然の状態であれば植物は地中からこれらの栄養素を吸収して育ち、やがては枯れて、栄養素は地中に戻るという循環を繰返している。そこには地中に住むミミズや微生物など、多くの生物の働きがある。しかし、農作物は人間が持ち去って消費するので、栄養素が地中に戻ることはない。そのために肥料という形で農地に栄養素を補給しなければ、農作物は育たない。

かつては農作物のうち人間が食べない部分を焼いてその灰を農地に撒いたり、家畜や人間の排泄物や植物から作った有機肥料を農地に戻すことで栄養分を循環させた。しかし、これらの方法では栄養素の量とバランスを調節することが難しく、そのために農作物の収量には限りがあった。その後、必要な栄養素を化学肥料の形で必要なだけ供与できるようになり、農作物の収量は大きく増加した。

ただし、化学肥料を過剰に使用すると水質汚濁を引き起こし、温室効果ガスの発生を増加させるなどの恐れがある。また化学肥料だけを使い続けると土壌中の生物が減少し、土壌の通気性や保水性が失われるなどの劣化が起こりやすいので、有機肥料の併用が行われている。

(3)農薬

農業のもう一つの問題は、病害虫や雑草による被害で、その被害で農作物が全滅することも珍しくなかった。さらに収穫後の貯蔵期間のネズミや害虫、カビなどの被害も深刻な問題である。これを防ぐために開発されたのが農薬で、有害な昆虫や線虫、病原菌や雑草から作物を守るとともに、農作業の労働を軽くする役割を果たした。例えば水田作業の多くを占めるのは除草作業だが、除草剤ができたために日本では水田作業の量が25分の1に減ったと言われる。

ただし、農薬の使いすぎは多くの昆虫を殺し、これを餌にする動物を減らすなど環境に大きな変化を与える。また、化学物質一般の例に漏れず、農薬も多量では毒性があるので、農薬の種類、使用法、そして農産物への残留量などについて厳しい規制が行われている。

 

3.4.6 緑の革命

作物の育種、化学肥料、農薬、潅漑、そして農業機械の組み合わせにより世界の農業の近代化が行われた。これを推し進めたのが「緑の革命」である。

第二次世界大戦末期の1943年に米国はメキシコに国際トウモロコシ・小麦改良センターを開設して効率の高い農業の研究を開始し、高収量の小麦とトウモロコシを作り出した。その結果、メキシコの小麦の生産量は3倍、トウモロコシの生産量は2倍に増加し、1950年代には小麦の自給が可能になった。1962年から1966年にかけて不作に見舞われたインドはメキシコからこの小麦を導入し、大幅な増産に成功した。

1962年にはフィリピンに国際稲研究所(IRRI)が設立され、日本も協力して1970年代にはイネの新品種IR8が開発された。当時のアジアは人口が増えているのに農地も穀物生産も増えず、飢餓が避けられない状況にあった。しかしIR8とその改良品種が普及すると米の収穫量は40年間で3倍増加し、米の価格は半分以下に低下し、アジアは食糧危機から脱することができた。そしてこれらの品種はアジア地域の75%にまで普及している。

さらに地域の事情に配慮した国際農業研究センターが世界各地に設立され、成果をあげている。例えば、ナイジェリアの国際熱帯農業研究所による病虫害抵抗性のトウモロコシの開発、同研究所とコロンビアの国際熱帯農業研究センターによる耐病性や冷害、乾燥地適性を持つキャッサバの開発、ペルーの国際馬鈴薯センターによる新種の芋の開発、インドの国際半乾燥地農業研究センターによるミレット(きび、あわの一種)の開発などである。このような農業の大きな改善を「緑の革命」と呼び、これが世界の農業の近代化のモデルになったのである。

品種改良されたイネの特徴は背が低く茎が丈夫で葉が生い茂ることであり、肥料をやると多くの実をつけ、しかも穂の重さでイネが倒れないので生産量が伸びたのである。 ところが新品種は害虫に弱く、大量の農薬が必要であった。また、生産量を高めるためには化学肥料と水も必要である。したがって緑の革命は灌漑施設と化学肥料と農薬と農業機械に支えられる農業であった。しかし、これは裕福な農家だけが実施できる農業でもあり、富農と貧農の二極分化が進み、期待されたような貧困層の救済には必ずしもつながらなかった地域もある。また化学肥料や農薬を不適切に使用したために、水域の汚染が引き起こされた地域もある。

 

3.4.7 農業と環境

農業は自然環境を人工的に農地に作り変えるところから始まる。現在の世界は天然の自然と、人間が手を加えた山林や農耕地のような人工の自然と、都市や工業地帯のような人工の空間に分けられた。そして人工の自然は田園風景として、天然の自然とは違った美しい景観を作り出し、多くの人が水田や畑の四季の風景を「自然」と感じて心の安らぎを覚える。

農地には豊かな生物生態系があり、生物の多様性が保全されている。さらに農業が地域社会や文化を作り出してこれを維持し、農村の存在が都市生活の緊張を緩和する役割も担っている。子どもたちにとっては、食べ物が動物や植物という「いのち」に由来していることの認識が薄れているが、農業とりわけ生き物との触れ合いによって生命の尊厳に触れ、生命への畏敬の念を持つことが認められている。

農業は環境保護の機能も持つ。管理された水田は雨水を一時的に湛水することができるので洪水を防止する。水田や畑地から水が地下に浸透して水質浄化と地下水の涵養を助け、土砂崩壊防止と土壌侵食防止が期待される。森林は土壌の流出を防ぎ、雨水を保持し、地域の気候を保ち、動物の生息地にもなる。そして、人間は森林がその機能を最大限に発揮できるように手を加え、そこから燃料、食料、建築材料などを得ている。しかし、これらは適切で持続的な農地や森林の管理が行われることが条件である。

世界では、人口の大幅な増加と農地の拡大のために農業や林業の持続性が危うくなっている。例えば、過剰な商業伐採や燃料を得るための伐採、そして耕作地を広げ、家畜の放牧地を広げるための森林破壊が進んでいる。十分な休養期間を取らない過耕作を行っているために地力が回復しない土地が増えている。過剰な数の家畜を放牧しているために、世界の放牧地の約20%では草地の破壊と砂漠化が起こっている。

農業は多量の水を必要とするが、森林の減少による保水力の減少のために水不足や洪水が起こっている。水の過剰な使用により世界各地の河川や湖の水量が減少し、地下水の枯渇も起こっている。水の管理が悪いために地中の塩分が地表に出てきたり、海水が遡上したために、農耕地に塩分が蓄積して農作物ができなくなる塩害が広がっている。雨や風で農耕地の表面の土が失われ、農耕ができない荒地になってしまう土壌浸食が続いている。

世界で9000万トンの漁業資源を利用しているが、なお400万トンの水産物が不足している。資源の再生が不可能になるほど多量の漁獲が行われたために、マグロ、カツオ、タラ、ウナギが減少するなど、世界の漁業資源の四分の三が危機的な状況にある。問題の解決のために栽培・養殖漁業が盛んになっている。しかし、それが水質の悪化などの環境問題を起こすこともある。

 

3.4.8 農業と地球温暖化

穀物生産や畜産業などの農業部門から排出される温暖化ガスの量は、発電と輸送部門から排出される温暖化ガスより多い。農業部門からの温暖化ガスとしては、炭酸ガスより強い温暖化効果を持つメタンと一酸化二窒素が作り出される。

農業部門から排出される温暖化ガスの35%が畜産部門からのもので、その約三分の一は新たな放牧地の造成や飼料になる大豆の生産地を確保するための森林破壊、過放牧、踏み固め、侵食などにより土地が劣化し、砂漠化が進展したためである。また約四分の一が反芻動物の胃に住むメタン菌の働きでできるメタンガスであり、約三分の一は排泄物から出るメタンガスである。残りは牧草地からの一酸化二窒素の排出や稲わらの焼却などによる。畜産部門から出る温暖化ガスは、炭酸ガス全体の9%、メタンガス全体の35-40%、一酸化二窒素全体の65%になり、合わせて全温暖化ガスの18%に相当する。

図8 2000年における温室効果ガス排出量(排出源別)[3]

最も影響が大きいのは13億6000万頭のウシで、年間に炭酸ガス19億トン、メタンガス8300万トンを出している。続いてヒツジとヤギは炭酸ガス5億1400万トン、メタンガス930万トン、ブタは炭酸ガス5億9000万トン、メタンガス900万トン、ニワトリは炭酸ガス6100万トン、メタンガス100万トンを出している。

水田土壌にはメタン菌が定着しているためメタンガスが発生する。畑地に窒素肥料を散布すると一酸化二窒素が発生する。温暖化が進めば土壌中の微生物の活動が活発になり、水田土壌からのメタンガスや炭酸ガスの放出が増加し、温暖化を促進する可能性がある。

その一方で、温暖化は農業に影響を与える。2007年に、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は地球の温度が1度から2度上昇すると洪水と暴風雨による被害が増加し始め、赤道に近い低緯度地域では穀物の生産性が低下する一方、中・高緯度地域では穀物生産性が増加する場所もあると予測している。3度の上昇があると、東および東南アジアでは今世紀半ばまでに穀物生産量が最大で20%増加する一方、中央および南アジアでは最大30%の減少があるかもしれない。しかし4度の上昇が起こると、すべての地域で穀物の生産性が低下し、海水面の上昇により世界の沿岸湿地の約30%が水没する可能性がある。特にアフリカでは降雨量の減少により2020年までに農業生産量が半減し、アフリカの貧困と餓えの克服を大きく遅らせる可能性がある。

 

3.4.9 農業と健康

農業は人間の健康に大きな影響を与えた。農業が始まったころの人骨を見ると、狩猟採集時代に比べて体格が小さくなっている。これは、農業労働が厳しかったこと、天候の不順や害虫の発生などで不作の年もあったこと、農業が始まると少数の種類の作物に頼ることになり、食品の種類は狩猟採集時代より少なくなって栄養のバランスが悪くなったこと、身分制度ができて一部の特権階級以外の人たちは食料が不足することもあったことなどが原因と考えられている。

また、多数の人間が集まった集落は多量の排泄物やごみのために不衛生な状態になりやすく、これに家畜の排泄物が加わって、病気の発生や感染の拡大を起こしやすい環境になった。

その一つがペストである。穀物の貯蔵を始めるとネズミが集まり、ネズミが持つペスト菌がノミを介して人間に感染した。ペストの死亡率は高く、患者は皮膚が黒くなることから「黒死病」と呼ばれて恐れられた。多数の人間が暮らす集落では、一人が感染するとペストは瞬く間に集落全体に広がった。しかし、集落の間の交流がないときにはペストの流行は集落の中に限定されていた。ところが地域内の交易だけでなく東西の交易が盛んになると、ペストもまた交易ルートに乗って広がった。特にモンゴル帝国時代の14世紀には中央アジアで始まったペストがイタリアを経由してヨーロッパ全土に広がり、ヨーロッパの人口の約三分の一に当たる2500万人が死亡した。その後、ペストは世界中で何度か流行し、1665年のロンドンでは約7万人が亡くなった。現在は先進諸国では根絶されたが、発展途上国ではまだ残っている。

動物を家畜化したことにより、動物が持つ病気にも感染した。例えばインフルエンザウイルスはカモなどの水鳥が持つウイルスだが、4500年前にニワトリが家畜化されたときに人間に感染してヒトインフルエンザウイルスになったと考えられている。こうして人間はインフルエンザウイルスに繰り返して感染するようになった。もっとも大きなインフルエンザの流行は1918年から1919年にかけて発生した「スペイン風邪」で、世界の人口の30%以上が感染し、約5000万人が死亡したと推測され、日本でも39万人が死亡した。世界では毎年170万人が結核で死亡し、300万人がエイズで死亡しているが、これらの病気に比べてスペイン風邪の死亡者は桁違いに多く、一度に最も多くの被害者が出た病気と言われている。その後も1957年に「アジア風邪」、1968年に「香港風邪」、1977年に「ソ連風邪」が流行している。ここでいう「風邪」は「インフルエンザ」のことである。

これらの流行はトリインフルエンザウイルスが突然変異を起こして人間に感染しやすい新型に変わったものと考えられる。現在、東南アジアではニワトリの間に高病原性トリインフルエンザの感染が見られ、少数の人間がこれに感染している。これも野生の水鳥が持つウイルスがニワトリに感染したもので、日本でも感染したニワトリが多数処分された。このウイルスが突然変異を起こして人間に感染しやすい新型になることが懸念されている。

そのほかにも麻疹(はしか)、結核、天然痘、百日咳などは元々家畜が持つ病原体が人型に変化したものである。また家畜から人間に感染する狂犬病や炭疽などの人畜共通伝染病がある。さらに、ウシの腸内細菌である腸管出血性大腸菌(O157)やニワトリなどの腸内細菌であるサルモネラなどは畜産製品に付着して人間に食中毒を起こす。これらはすべて人間が家畜とともに暮らすようになってから、その被害を受けることになったのである。


【コラム5】BSE(牛海綿状脳症)

英国で1986年に発見された一頭の変死牛から世界の牛海綿状脳症(BSE)問題が始まった。BSEは短時間で英国全土に広がり、1992年と93年には年間3万頭以上の牛がBSEで死亡し、畜産業は大打撃を受けた。英国政府は1996年にBSEが人間に感染して変異型クロイツェルフェルトヤコブ病(新型ヤコブ病)を引き起こす可能性を認め、大きなパニックが起こった。

BSEの病原体であるプリオンは牛の脳や脊髄などのいわゆる「特定危険部位」に蓄積する。病原体で汚染した危険部位を含む廃棄物を乾燥させて粉末にした肉骨粉を健康な牛に食べさせると感染する。また汚染危険部位が付着した牛肉を人間が食べても感染する。英国政府は肉骨粉の使用と危険部位の食用を禁止したためにBSEも新型ヤコブ病もその数を減らした。ヨーロッパ各国もまた英国から輸入した汚染肉骨粉が原因になって多くのBSE感染牛を出した。そして、この問題により各国政府は消費者の信頼を失い、消費者保護を中心に置いた食品安全の新しい方式を取り入れることになった。

日本もまたヨーロッパから肉骨粉などを輸入していたために2001年にBSEが発見された。「日本にBSEはない」と言い続けていた政府は十分な対応ができず、国民の信頼を失った。政府は当初は肉骨粉の禁止と危険部位の除去に加えて、30ヶ月齢以上の食用牛の検査を対策にする案を示した。検査では弱齢牛のBSEを発見できないため、BSEに感染していても検査で陰性になる可能性が高い。そのような理由でヨーロッパでは30ヶ月齢以上の牛だけを検査していることに習ったものである。しかし、この案に対して「検査した牛肉としないものがあると混乱を招く」、「牛の月齢がはっきりしない」などの理由ですべての牛を検査すべきであるとの要求が起こり、政府は全頭検査を実施した。しかしこれが国民の間に「すべての牛を検査して、政府が安全を保証しているのだから、BSEに感染した牛を食べることはない」という誤解を生み出すことになった。

2003年末に米国でBSEが発見され、日本は米国産牛肉の輸入を停止するとともに、米国に全頭検査の実施を要求した。しかし弱齢牛の検査には科学的な根拠がないという理由で拒絶された。ところがこれが国民の目には米国の傲慢さと映り、米国産牛肉への反発が大きくなり、逆に全頭検査を行っている国産牛の信用が高まった。

政府は食品安全委員会のリスク評価に基づいて2005年から検査対象を21ヶ月齢以上の牛に変更したが、すべての自治体が国の補助金により全頭検査を続行した。2008年7月には国の補助金が廃止され、国は検査月齢を変更するよう自治体に求めたが、すべての自治体が「消費者が不安に感じる」ことを理由にしてさらに全頭検査を継続する方針である。このような日本独特の事態は、全頭検査を開始したときに政府が検査の意味を国民に十分に説明しなかった結果であり、自治体もまた検査を続行する科学的な根拠が薄弱であることを説明していない。


[1] 国連人口基金 http://www.unfpa.or.jp/p_graph.html

[2] FAOデータベース

[3] スターン・レビュー『気候変動の経済学』

http://www.env.go.jp/earth/ondanka/stern_review/es/es-ej-1.pdf