3.5 健康の確保 -身体-

3.5.1 人体の基本構造

人体の、生き物としての機能は、他の温血哺乳類と類似している。多種、多様な細胞が集まって臓器を形作り、血液成分をめぐらせることによってエネルギー源や酸素をそれらの臓器にまで届け、神経系やホルモン系で臓器間の連携を保とうとする動物としての基本は、人体でも他の温血哺乳動物でもさして変らない。他の動物で起こっている生態現象の多くは人体にも当てはまる。その共通事象については前章で述べた通りであり、ここでは人体に特徴的な事項を、特に「医療」という動物には無い、人間に特有な行為と関連させながら理解したい。言い換えれば、約36℃程度の体温の下に生命機能が維持されている個体としての人の身体機能異常とその回復について理解することである。ただ、人では脳が他の動物と比較して極端に発達しており、それが人が人たる所以でもあるので、精神機能については身体機能と別に、項を改めて述べる。

 

3.5.2 疾病と医療

疾病とは、前述の、人の正常な哺乳動物としての機能に異常をきたすことであり、ある時はその異常が可逆的であり、ある時は不可逆的である。これが疾病が治る、治らないであり、基本機能である血液循環と呼吸による酸素摂取と運搬が停止し、体温が下がり、脳幹中枢の機能が失われれば人は死に至る(個体の死)。

医療はその過程に干渉し、できるだけ正常な状態に戻そう、戻らないまでも異常の進行を止めようとする。例えば、人体には機能保持のため、適正な体温環境が要求されており、生きている限り常にエネルギーを燃やし続けなければならない。適正な体温維持は、体内で活動する諸酵素が正常な働きをするために必要だからである。そこで、例えば、異常な高温(発熱)が起これば、正常体温に戻す必要に迫られる。これを、解熱薬などを用いて達成するのが医療である。

全ての生き物、勿論、人にも、身体の異常な状態を元に戻そうとする自己修復機能が備わっており、医療はそれを最大限に利用する。医療的治療行為の代表として、薬物、手術、訓練(リハビリテーション)が選択される。薬物治療では、薬物の種類、量、時期と期間の選択が正しく行われなければならない。例え正しい薬が選択されても、量が少な過ぎれば効果がないし、多すぎれば有害となる。一般に、薬物は多方向の作用を持つから、目的とする主作用を引きだし、副作用をできるだけ小さくするよう、治療法が工夫されるが、個体によって薬物の効き方が異なる場合があるので、薬の処方は複雑な作業となる。

また、100%安全な手術は無く、手術にはある程度の確率で危険が伴なう。最近では、新しい医療手段が試行を経て医療として定着しつつあるが、ある程度の危険を伴なうことが避けられない。遺伝子操作を伴なうような治療法の採用に当たっては、倫理面での社会的合意形成が求められる。社会構成員として、また、一個人として、治療効果のはっきりしない未知の医療に対し、正しい価値判断ができる素養を身に付ける必要がある。

 

3.5.3 疾病は臓器機能を無視して理解できない

古くは、病は「気」から発し、祈りや祈祷で治すものと考えられていた。それを、臓器そのもの、或いはホルモン・神経などの連絡機能の異常など、疾病を身体の器質変化に結びつけるところから近代医学はスタートしている。従って、近代医学では、消化器疾患、循環器疾患、腎臓・泌尿器疾患、呼吸器疾患、内分泌疾患、神経疾患、生殖器疾患、骨・筋肉疾患、感覚器疾患、皮膚疾患、血液疾患(血液は造血器と言う臓器の一部と考えられる)等々、病因を分析的に考える。勿論、多臓器を同時に脅かす、例えば、リュウマチ、糖尿病というように、病因から分析的に疾病に迫ることも行われるし、細菌・ウイルス感染など、の外因の特定から、臓器異常を横断的に見ることも行われる。症状から統合的に病変をとらえる東洋医学的医療もある。

 

3.5.4 病因により疾病を分析的に考える

医学の世界では、疾病の原因を、大雑把に(1)感染、(2)腫瘍、(3)変性 の三つに分類する(外傷を、別に加えることもある)。例えば、インフルエンザは感染であり、肺がんは腫瘍である。変性疾患とは、そもそも、生き物は生まれた時から死に向かって加齢現象の中で生きているので、その過程を全て疾病とは言えないが、著しく他の個体と異なる経過をたどる場合を指す。例えば、個体差はあるが、高齢者の眼の水晶体は少なからず濁っている。もし、そのために視力障害を自覚すれば加齢性白内障という疾病であり、医療の対象となる。ある高齢者の腰が曲がっていても、他人は、老化であり疾病ではない、と言うかもしれない。しかし、痛みがあり耐えがたければ、この加齢変化は医療の対象となる。

このように、健康と疾病の境界はかなり相対的なものである。上記の如く、疾病の原因と異常を来たしている場所(臓器)を探し求めるのが医療における診断であり、その原因を除こうとするのが治療である。疾病の発生を、生まれた時から遺伝で決まっていたもの、遺伝的素因に環境因子が加わって発症するもの、全く後天的に発症するものに分けて考える。後の二者は、本人の努力で発症の時期も経過も異なってくることから、各人が健康に関して正しい知識を習得し判断能力を鍛えることの有用さが実感される領域である。

 

3.5.5 医療の不確実性と納得医療

医学の成果を人体に応用・展開して行くのが医療であるが、医学・医療の世界には未だ不確定の要素がたくさん含まれている。原因の分からない疾病、原因が分かってもその治療が不可能で、症状の治療をするしかない(対症療法)場合もある。従って、現実の医療は、患者となる立場の人と医療者が情報を共有した上で、最善と思われる道を選択して実行することになる。疾病の進行は待ってくれないから、その時点で考えられる選択肢からの決断を迫られる。何も手を加えないで自然の経過に任せる、という決断も慢性疾患において無いではない。

それらの決断過程で最近言われているのが、「インフォームド・コンセントに基づく医療」(「納得医療」などとも訳される)である。この考え方が現れたのは20世紀後半の米国で、日本でもようやく定着しつつある。医療を受ける立場の人も正しい医療情報を取得し、医療者と共に考え、自分で治療方針を決定すると言うシステムである。従って、国民一人一人が健康と疾病に関して、相当の知識と判断能力を持つことが求められる時代になった。これが以前の様な「医療者にお任せします、よろしく」というパターナリズムの時代との違いである。一方、経験則に負う所の大きい医療が不確実な行為であるだけに、その安全性を高めるためにも、情報の透明性が強く求められている。

 

3.5.6 個の医療の限界と環境整備の重要性

人が健康に生きて行くためには、個人が個々の疾病に対処する他に、例えば、下水道を整備する、空気を清浄化するなど、疾病の発生に大きく影響する環境の整備が大切である。これから環境破壊が進みそうな時代に、環境問題を健康生活の維持という面から眺め、一人一人の国民が、正しい価値判断ができるようにする必要がある。医学で言えば、公衆衛生学と言われる分野への国民の正しい理解である。例えば、健康を阻害するような物質を、生活環境から除外する必要がある場合、個人の努力でできるものと、集団の努力でないとできないものとがある。感染性の疾患対策で、病原菌の侵入を防ぐため、各人が皮膚(手洗い)や呼吸器(マスク)を介する感染ルートを遮断するのは個人の努力による自己防衛である。不健康な習慣からの脱却、例えば、タバコに由来する有害物質との接触を避ける、過食の戒めや適度の運動による身体の鍛錬、結果としての生活習慣病の回避なども、個人の努力が有効な場合である。しかし、或る種の発ガン物質、例えばアスベストからの回避は、個人の努力だけでは如何ともしがたい。ある程度の水準を超えると人体に有害なことが確認された物質は、知られているだけでも数多い。だから、空気、水、土壌の環境整備は、社会全体の問題として取り組まねばならないという認識の醸成が必要である。社会の理解の広がりで生活環境がより安全になり、一方、各人の疾病への理解が深くなって、初めて人間が健康を長く維持できる状態を作り出すことができる。

 

3.5.7 食事と運動の大切さ

身体の体温保持、心臓の拍動や腸管の蠕動運動など、内臓の機能維持に要するエネルギー源は、全て消化管を介して食物から吸収される。また、身体を構成する細胞は、日々、入れ替わっているから、それらを作るための物質の摂取が、生命維持のために継続的に必要である。その中には、必須アミノ酸、ビタミン、微量金属のように、人の体内では合成できないものがあり、それらをバランス良い食事から取り入れなければならない。その必要量は、体の大きさ、年齢、性別、身体活動の激しさ、代謝の効率などによって、人それぞれ異なってくる。また、人体は生命維持(基礎代謝)以外に、身体運動に消費するエネルギーを補給する必要がある。身体運動の確保は、人が普通の社会生活を送る上でも、スポーツをする上でも必要であるばかりか、生命維持にとっても必須である。例えば、骨や筋肉の強度は運動無しには保たれないし、循環器機能、呼吸器機能等についても、身体運動無しには維持、向上しない。

 

3.5.8 疾病の予防と自己修復機能

身体の防衛機能の一つとして、白血球などによる免疫系の活躍がある。個体は病原体の攻撃に反応して自己の体内に抗体を作り、それと戦う。そして、疾病に打ち勝って個体が生き残った時、防衛力として抗体が残る。それが持続する場合、時間と共に消滅してしまう場合がある。この機能を人為的に作るのが、ワクチン、予防接種であり、時に有効な疾病予防効果を生む。この基本機序について、全ての国民が理解できることが望ましい。花粉や食物に過敏に反応する、いわゆるアレルギー体質の原因も免疫系の働きによるものであり、この場合、身体に免疫反応がマイナスの現象として現れている。薬剤、食物によるショックも類似の生態反応に属するが、何故そのようなことが起こるのかについて、ある程度の理解ができるようでありたい。