4.1 ヒトとしての倫理 -個人としての倫理-

4.1.1 生命科学・技術の進歩に学ぶ生命倫理

生命科学・技術の目的は、様々な生物の生命現象を科学的に解明することと、創出される生命操作技術を医療、食糧、環境、エネルギーなど広い分野で人間の福利の向上を目的に利用していくことにある。この過程において私たちは、人間と人間、人間と社会、人間と他の生命体との関わり合いの深さを実感する。それは、また、人間の本質あるいは‘「人間らしさ」とは何か’について多くのことを考える機会を常に与える。そして、それを深く論及し「人間らしさ」からくる弱さを悟ることで生まれるのが、人間社会における個々人の行動規範として必然なものとしてすべての人々に受け入れられるべき価値観としての生命倫理であると言える。

このように考えると、生命科学・技術と生命倫理とは、本来、前者を起点とする同じ文脈において語られるべきものである。しかし、現実にはそのようにはならず、ときには対立するようにさえ思えることがある。その理由は、その起点である「人間らしさ」からくる弱さに関して十分な科学的論拠に基づく明確な定義がないことと、生命倫理は社会科学として歴史的事実の経験と社会変化の影響を受けることで生じる様々な捉え方を矛盾が生じないように柔軟に融合させることに時に失敗していることが挙げられよう。

このような背景の中で、人間の本質を一段と解明し、「人間らしさ」からくる弱さについてより確かな科学的論拠を提供し、幅広い応用領域で生命倫理の捉え方に一貫性を与えるべく、相互に関連しながら技術融合によって極めて急速に進歩しつつあるのが、ゲノム科学/遺伝子操作技術、生殖発生生物学/胚操作技術、高次脳科学/神経回路操作技術の三つの生命科学・技術領域である。以下、これらの領域と「人間らしさ」とその科学的論拠と、広義の生命倫理とその普遍化の二点に焦点を置き、生命科学・技術の進歩から私たちが学ばねばならない生命倫理のこれからのあり方について論考する。

 

4.1.2 「人間らしさ」とその科学的論拠

「人間らしさ」の科学的論拠は、人間が進化する過程で併せもつことになった「個体性」と「社会性」それぞれとその二者の関係に求められなければならない。前者の「個体性」は個が持つ純粋に生物学的と見なされる生命体としての特性であり、これは父母から引き継ぐ遺伝要因と胎芽・胎児期・乳児・幼児期を中心に一生に及ぶ環境要因の影響の下で形成されていく個体差に収斂する。この個体差については、ゲノム科学を中心とする領域においてヒトゲノム全塩基配列が解明に続く様々な機能を担う遺伝子の多型性やそれら遺伝子のエピジェノミック制御機構の解析などのポスト・ゲノム研究、また、生殖発生生物学を中心とする領域において胎生(ES)細胞やクローン胚や人工多能性幹細胞(iPS細胞)などの人工胚を用いた初期発生分化誘導に関する研究などによって急速に解明されつつある。そして、その一部のデータはすでに環境保全や食糧増産や犯罪捜査のみならず、疾患予防や早期診断などの未来医療を視野に入れた医療分野にも利用できるまでになっている。今後もこれに関連するデータは急速に膨大し続けコンピュータ技術と融合しながらその利用は拡大していくと考えられている。

一方、後者の「社会性」については人間としての種を存続するとともに自らの生活を守るために形成されるようになった集団(社会)の中で個々人が他人や社会と良いコミュニケーションを築くために自然と身に付いたものである。このために必要なコミュニケーション能力を主として担う大脳機能に関しては、これまで蓄積されてきた解剖学と個体発生学や精神科学との融合研究から得られていた知見に、最新画像解析技術導入による詳細な解析が加わったことで急速に多くのことが分かってきた。例えば、学習、記憶、言語、感情・欲望制御、思考、理解、判断、などのコミュニケーションに深く関係した中枢が存在する大脳の容量とその中に存在する神経細胞とその支持細胞であるグリア細胞数は、胎胚期、胎児期、乳児期、幼児期、小児期において自然に増大していくことが知られている。また、コミュニケーションの統合の場として人間で最も発達する前頭連合野においては、シナプス数は、小児期の間は周囲との間のコミュニュケーションが刺激となって増加していくが、青春期に達すると不要なシナプスの刈り込みが起こり減少し、その後は比較的長い安定期が続き、最終的に老化によって減少することも知られている。さらに、発語数の増加について言えば、ゲノム塩基配列が人間に最も近いチンパンジーの場合は全く見られないのに、人間の場合は生後40ヶ月を越えるまで急速に増加することも示されている。

この他にも、人間の本質を示す成熟した大脳機能として人間特有の「社会性」に関連して、特に強調されなければならない点がある。その一つは、神経回路が完成した後でも鍛錬によってその機能を強化できるということが分かりつつあることである。他の一つは、人間の意思決定の際に働く最も高度な機能である理解力と判断力は如何に強化されていても、意識下あるいは無意識下で働く感情や欲望によって影響される点である。このうち感情については、人間では、理性による制御がどちらかと言えば困難な動物的な情動(快・不快など)に加えて、理性による制御が可能な人間独特の感情(愛、憎しみ、淡い感情、沈鬱など)もあることはよく知られるところである。

以上まとめると、人間の本質とは、「個体性」と「社会性」の密接な相互関係の中で形成される高度の「社会性」であり、「人間らしさ」にはコミュニケーション能力の高さや学習によってそれが強化できるという強さはあるが、「人間らしさ」からくる弱さは最も高度に発達した理解力や判断力であっても制御がときに困難な感情や欲望などの影響を容易に受けてしまうことは科学的な確かさを持って証明されつつあると言える。いずれ近いうちにその弱さに関係する神経回路も、大量の情報が超高速で処理される機序、神経細胞の10倍以上の数で存在しているグリア細胞の働き、神経回路の詳細、などの解明に伴って明らかにされるに相違ない。

 

4.1.3 広義の生命倫理観とその普遍化

上述した「個体性」は価値観の多様性を、また、理解力や判断力の不安定性は価値観の揺らぎをもたらすと考えられる。これら価値観の多様性や揺らぎは、人間の本質と「人間らしさ」からくる弱さの必然である。しかし、これらが社会全体や個々人の進歩にとっては必要不可欠なことであることは言を待たない。したがって、私たちはそれに対して悲観的である必要もない。

しかし、社会全体で決定しなければならない事柄についての価値判断が必要な場合、通常、この価値観の多様性や揺らぎはしばしば社会的合意形成を困難にすることがある。また、その合意プロセスが非民主的であれば勿論のこと、民主的であっても情報や知識や経済などの格差が生む様々な強者の価値観に基づいて一方的に進むように弱者が感じることがあれば、その困難さは増すだけでなく、時には強者側と弱者側の間に情動的な衝突までに至ることも考えられる。このような事態は、安全面および倫理面で新たな問題を提起することが多い遺伝子操作技術、胚操作技術、神経回路操作技術などの利用が特定の患者の強い要望のある医療分野であっても起りやすい。その利用が社会全体に広がりやすい食糧、環境、エネルギー分野の場合や現代社会のように技術領域での専門細分化が進んで科学と社会との間隙が特に拡がり、また、市場経済至上主義のグローバル化に伴う激しい技術開発競争で不正がしばしば起り科学者・技術者への不信感が増大しやすいと、尚更である。内容が余りにも専門的であって専門外の科学者・技術者を含めた一般市民は関心を失い、専門の科学者・技術者に任せてしまうことになれば、事態はさらに深刻である。

このような事態を回避しょうとするなら、まずは、専門家側は自らが特殊な素人であるという自覚を持って非専門家に十分な情報を提供すると同時に他分野の意見を聞き、また、非専門家側もできるだけ情報が偏らないように日ごろから多くの専門家側の情報を聞き、必要あれば相互に意見を取り入れるなどして相互間の間隙を埋める努力をしなければならない。しかし、情報、教育、知識などの非同時化によって格差や価値観に開きが大きくなり過ぎると、それが「人間らしさ」からくる弱さに起因する以上、このような努力だけでは対応できないのも確かである。

このような「人間らしさ」がもたらす事態には、古来、人間は倫理・道徳に最高位の価値基準をおいて対処してきた。20世紀後半になって生命科学・技術の研究開発が本格的になり、それが医療分野に応用されるようになると弱者である患者(被験者)の生命の尊厳が脅かされていることが明らかになると、自律性、無危害、恩恵、正義の四つの原則という人間中心主義的の狭義の立場の生命倫理が提唱された。これら四つの原則は医療が重視される社会では廃れることは決してないが、社会の変容によってその捉え方は変わってくる。ときにはそれは原則の対立や葛藤を伴うことになる。例えば、市場経済至上社会では個人の能力を重視するために自律性原理と恩恵原理の対立・葛藤の結果として自律性原理の優先論・至上化が起こる。消費者権利意識が高まると、自律性原理と正義原理の対立を伴いながらどちらかと言えば正義原理が強調される傾向がある。

さらに、生命科学・技術が急速に進歩してその応用が医療以外の食糧・環境・エネルギー分野へ拡がることで社会環境や自然環境と生命との関連意識の高揚、時間・空間軸を超えた未来世代への影響、心への他人の介入、などが危惧されるようになった今日では、その捉え方には大きな転換というか、古来叫ばれて続けてきた全生態系の調和を原則とする人間非中心主義的な広義の生命倫理が被験者の人権擁護を中心に置く上述の狭義のそれに代わろうとしつつある(4.2.参照)。現在は、例えば脳倫理科学やバイオポリテックスなど様々な名称が生命倫理の領域で提案されている。

しかし、これから大事なことは、様々な歴史的事実の経験を通して原則に矛盾や葛藤を起こさせることなく柔軟に融合させながら漸次的に人間社会における個々人の行動規範として必然なものとしていかねばならないということであろう。そのためには、「人間らしさ」からくる弱さを基軸とした生命倫理学の学問的体系化を図り、科学的体系化へ向けた努力を続けることは欠かせない。その過程においては、また、四つの原理に全生態系の調和を加えた生命倫理を普遍的価値観とし、それぞれの社会の文明史と自然環境に適う公理によって仮説的判断基準を定めた上で、個々人が人間の福利の向上を目的に生命科学・技術が適正に展開できる基盤として機能する秩序構築と制度設計を行っていく必要もあろう。このような社会システムの構築にあたっては、多数の関連生体要素が整然とした秩序を保つことで調和的な統合が自律性を持って進む生命維持のための基盤的な機能である遺伝子ネットワークやタンパク質ネットワークや細胞ネットワークに学ぶ必要があろうと考えられる。このようにして、生命科学・技術は‘社会のための科学’として社会に大きく役立つことになろう。